ニーバーの祈りと採用と人材育成
下記の記事を読んで、
NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 採用時に見極めなければならないのは本当に「コミュニケーション能力」なのか?
■変わりやすいもの
・リスク志向性
・知識や技術
・教育の水準
・仕事経験
・自己に対する認識
・コミュニケーション
・第一印象
・顧客志向
・コーチング能力
・目標設定
・エンパワーメント■変わることはかわるが、変わりにくいもの
・判断能力
・戦略的スキル
・ストレスマネジメント
・適応力
・傾聴
・チームプレー
・交渉スキル
・チームビルディング
・変革のリーダーシップ
・コンフリクトマネジメント■変わりにくいもの
・知能
・創造性
・概念的能力
・部下の鼓舞
・エネルギー
・情熱
・野心
・粘り強さ
みなさんはどう思いますか、とのことなので、自分の第一印象(あくまで印象ね。)
→
総論として、違和感はあまりない。(繰り返すけど印象)
一部、中原先生と解釈が異なっているのは、以下の2点
- 変わりやすいものとしての「コミュニケーション」はビジネスマナーとか、メールの書き方とか、そういうものなので、就活で重視されているコミュ力は「変わることはかわるが、変わりにくいもの」にあるような「チームワーク」、「傾聴」、「適応力」のようなものではないか。
- 「変わりにくいもの」は生まれつき、もしくは幼少期の環境によるものと捉えるとよいのではないか。つまり「概念的能力」のようなものは大学などの高等教育では向上させられないものなのではないか。高等教育で向上させられるのは、持って生まれた個々人の「概念的能力」を「現実の課題に活用」する「判断能力」や「戦略的スキル」の方なのではないか。
違いをうみだすもの
上記の印象を持ったあと、はたと、この3つの分類が採用や教育に対する企業や個人、社会のメンタルモデルを整理する上で非常に有用なのではないか、と思った。
おそらく、「変わりやすいもの」がいわゆるハードスキルや職場の経験によって培われるものであるなら、「育成・教育」の対象となることに反対する人はそうはいないはず。そして、「変わりにくいもの」が一定程度個人の資質として存在することについても多くの人が同意するだろう。
対して、「変わることはかわるが、変わりにくいもの」は「長期に亘る、体系的、継続的トレーニング」が必要である。
そのため、組織や人によって、これを「変わりやすいもの」側として捉えるか「変わりにくいもの」側として捉えるか、によって、採用・人材育成の方針に如実な違いが出てくると思う。
就職活動で、「コミュ力」を重視するのは、仕事において非常に重要な「チームプレー」や「傾聴」を「変わりにくいもの」として捉え、施策によって変えることに本気になっていないことを意味するかもしれない。
そして、高等教育のようなもので養成することができる「判断能力」を「変わりにくいもの」として捉えることは大学や大学院教育の軽視につながる。
個人的な実感としても、傾聴やチームプレイはきちんとしたトレーニングを継続的にうけることで劇的に変化する。また、判断能力等については、大学でしっかりと学問をやった人とそういった経験のない人とでは明確に違うと感じる。(もちろん、単純な仕事の成果という意味では、いろいろな別の要素が絡むので、一概には言えない。)
一般的な傾向として、外資系企業は「変わることはかわるが、変わりにくいもの」を「変わりやすいもの」側として捉え、専門教育を評価し、リーダーシップトレーニングに莫大な投資をする。
対して伝統的に日本企業は「変わることはかわるが、変わりにくいもの」を「変わりにくいもの」側として捉え、採用時には重視するが、教育は「変わりやすいもの」に偏り、コミュニケーショントレーニングも「福利厚生」的な位置づけにする場合が多い。また、高等教育の有効性を無視する。
人はどこまで変われるのか、というのは教育者にとって、永遠の問い
神よ、恩寵を私に与えて下さい
変えられないものを静穏に受け入れるために
与えて下さい
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを私に与えて下さい