ヴィゴツキーの情動論とその意義

最近、仕事の合間にヴィゴツキーの本を読み直し+新しい本を買って読んでいる。 この記事では、彼の情動論についてまとめる。

理性と感情の対立についての古い議論

感情は主流の哲学者や倫理家には評判は良くない。 古代の哲学者や倫理家の多くは、放縦や、感情に任せて行動することの愚かさを説く。

そして、理性による感情の制御というのがお決まりの教訓だ。

「ストイック」という言葉の語源となったストア派の哲学に傾倒したローマ皇帝マルクス・アウレーリウスは自省録の中で、わが子を愛する感情を必死で制御しようと試みている。 一部の仏教理解では愛欲は苦しみのもとであり、断ち切るべきとされる。

人間にとって、感情は動物的な下位機能であり、理性によって制御されるべき、というのが古来の多くの倫理観に流れていた思想だ。

スピノザとクルト・レヴィン

自分が学生時代にスピノザにほれ込んだのは、彼が 「人は感情によって行動し、理性は勝てない」 と断言していたからだ。確かスピノザの『国家論』だったと思う。

国家論 (岩波文庫)

国家論 (岩波文庫)

感情が行動を決定する、というのは次の本にもでていた。

理性は感情を刺激するだけなのだ。

結局、人の行動は様々な感情の葛藤や相克の結果決まる。

こうした観点はレヴィンのトポロジー心理学にも通じるだろう。

『エチカ』ではスピノザは人の行動の動因を見事に整理して、一元的な理屈で 徳や不徳と呼ばれる特性を説明してみせた。感情は放縦の原因であるだけではなく、徳の源泉でもあるのだ。

ヴィゴツキーの情動論

ヴィゴツキーは当時の心理学における情動分析がその根底には感情を下等な本能的な機能とみなす哲学的な問題があるとする。

日本語訳の本はデカルトスピノザとの対話と書いているが、基本はデカルト的なものの批判であり、スピノザ的なものの擁護だ。

 ウィゴツキーの論点は以下の点と思われる。

  • 感情が大脳の機能であり、大きな恐怖や興奮のほか、微細な愛情や満足のような感情と本質的には異ならないこと。
  • 情動は人間のエネルギーの源泉であり、人間行動に不可欠なものということ
  • 注射針に対して腕を差し出すような理性的な行為や道徳的行為といった自己行動の制御も、脳内で構築された複雑な反応体系に基づくもので、発達した情動機能の産物であること

与えられた環境を変革していくような創造的な活動や困難に打ち勝つプロジェクトをやり通す力は感情を廃した「理性」のようなものからは生まれないのだ。

「共感の大切さ」を超えた情操教育

ヴィゴツキーは学校の場などで、感じることを軽視してはならないと説く。学習内容の楽しさを味わうために好奇心を刺激するように説く。 また、芸術教育についてもその意義を語っている。

企業の人材育成や、現代の学校教育の場でも、感情の大切さみたいなことが説かれることは多い。 一方で、個人的に危ぐするするのが、それが他者への思いやりや共感を過度に協調し、結局日本的な「みんな仲良く」とか「空気」に逆らえない人をつくってしまっているのではないか、ということだ。

ヴィゴツキーの情動に関する教育は、感情の機能をみとめ、それを克服して、自己の行動を制御することも含む。 共感のようなものも大事だが、「空気」のようなものに生み出される感情やその時々の誘惑に抗して、自分の意志や判断を貫くことができる人格を作ることが一種の脳の機能なのだと説く。

芸術教育についてのヴィゴツキーの意見

彼は芸術作品はあくまでフィクションであり、そこから教訓や道徳を引き出そうとすることに批判的だ。 芸術を芸術として創造的に鑑賞することでその意味があるのだという。

学校の教科書から文学が消えることについて、色んな意見があったけど、ヴィゴツキーの議論を根拠にした議論は聞いたことはなかったな。

久保建英にみるポーカーフェイスと激情の両立

サッカーの久保建英マニアの一人であるが、こんな動画がある。


「久保建英にオススメのクラブとレアル・マドリー復帰のための最短距離」|木村浩嗣(在スペイン・ジャーナリスト)の移籍先診断【2】

久保建英の動じないメンタルについて、絶賛している(比べられたジョアン・フェリックスはかわいそうだが。。。)

ただ、久保マニアなら知っているけど、久保建英はもともと激情家だ。 チームが大量得点している時、自分一人だけ点をとれなくて号泣した、とか、バルサが興味をもっていないことを知って泣き出したとかの逸話には事欠かない。 今シーズンでも、残留争いの終盤、敗戦なのか、決定機を外したことなのか、ピッチを去るとき、地団駄を踏んで悔しがる様子をみせている。

プレイが常にブレず、冷静に見えるのは、要するに自分の情動のエネルギーをプレイに集中させることができているからだろう。

EQというのは対人関係に関するものだけではない。個人の自分自身の行動の制御という意味でも大きな意味をもっているのだ。

芸術との関係?

久保は幼い時から読み聞かせを大量に受けて、本人も読書家みたい。 小説をよく読むとか。ヴィゴツキーによれば、芸術を味わうことで感情が浄化され、感情のエネルギーを秩序だった行動に向かわせることができる助けになる。 そういうのも彼の人格能力の高さに寄与しているのかもしれない。