ワインバーグの成長のプロセスモデル

スキルの熟達についてのワインバーグのモデル

元ネタ

 

 

  • 成長はきれいな直線を描かない。
  • あるレベルまで成長すると踊り場に到達する。その時、新しいやり方を試すことで飛躍する。
  • 新しいやり方に習熟するまではパフォーマンスは落ちる。

 

 

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要求定義の双子プロセスについて

 
 
要求の作成は、アジャイルだろうと、ウォーターフォールプロセス的なシーケンシャルアプローチだろうと必要だ。要求開発をソフトウェア開発と並列して進行する別のプロセスとして管理することを提案している。
ワインバーグは、どのような製品であったり、組織として採用しているプロセスがどうあれ、
  • 製品の使用者からのフィードバック
  • 開発者からのフィードバック
  • ビジネス目標の変化
などが恒常的に発生しているという観察した。
 
そのため、プロダクト開発のプロセスとは「別」に要求開発のプロセスも管理しようというのがワインバーグの双子プロセスの提案である。(正確にはParnasとClementsの記事に基づく。下記の図は『ワインバーグのシステム変革法』 図15-5からの図を少し改変したもの。)



たとえば、Scrumなどでは要求はPOが定義し、開発者に提示することになっているが、開発者に説明できる要求をPOが手にするまでには複雑なプロセスが必要だ。それには、多くの場合、政治的な交渉も含まれる。
 
 
要求開発プロセスを別のプロセスとして定義することは、ブラックボックスとなっていいるプロセスを明確なものにし、政治力などによって左右されるのではなく、要求開発のプロセス改善を可能にする、という意味がある。政治力というのは、ビジネスサイドのことばかりではなく、自分の判断で要求を取り込む開発者もある面では政治力がある。ようは、ソフトウェア開発プロセスに対する影響力を持つ人が要件を決めてしまうということになる。
 
 
詳細な要求開発のプロセスは例えば、次のようなものだ。(『ワインバーグのシステム変革法』 図16-5からの図を少し改変したもの。)
 

 
要求開発には開発者もステークホルダーとして参画する。主に開発することで得た知見をもとにした要求アイデアの提示、一部の開発者は要求定義のレビューにも参画する必要があるだろう。シーケンシャルプロセスで同一リリースに要求が追加されるのなら、変更管理となる。
 
アジャイルプロセスにおいては分類、高次設計、優先度設計などはソフトウェア開発プロセスに含めてもいいだろう。Scrumなどのソフトウェア開発プロセスの中で仕様化するプロダクトバックログリファインメントで行うから。
 
要求開発のプロセスそのものを管理し、様々な情報を基に最終的な意思決定を行うのは、ワインバーグはマネージャーだといっている。おそらく、プロダクトの真のオーナーであるプロダクトマネージャーだと思う。彼らはプロダクトに対する最終的な意思決定を行い、おそらく、その結果とプロセスについて、ステークホルダーに対して説明責任を持つ。日本の組織の場合はこのロールが不在のため、うまくいかないことが多いように思う。
 
現在では、どういうプロセスモデルでソフトウェアを開発するにせよ、プロジェクトが継続的に立ち上がるってことは避けられないように思う。こうした要求開発プロセスを切り出すことができ、そしてプロセス改善を行うことがおそらく、アジャイル開発にするか、、柔軟なウォーターフォールにするか、という選択よりも意味のあるものなのではないかと感じている。
 
 

感情と意志についての現時点での理解

単なるメモ。

  • 人間は環境に実在するアフォーダンス(価値)を求めて行動する。
  • アフォーダンスには認知や理解も含む
  • 価値を求めて環境に働きかけ、環境を変え、望むものを手にする
  • 感情は行動に付随するもので本質的には動因ではない。
  • 感情は行動を規制し、同一の行動を繰り返したり、安定性を与えるために人間の行動を「縛る」。
  • 幸福感、気分の良さ、悪さ、興奮などの感情は手掛かりになるが、価値とは別のものであり、それを目的にすると誤る
  • 最も効果的なのは感情を行動と連動させること。行動をサポートさせること

 

演技メソッドとの関係

 

ロバート・フリッツのメソッド

  • ロバートのいう動的衝動(Dynamic Urge)はまさにアフォーダンスとイコールと考えてよいものと思われる

 

参考文献 

文化的―歴史的精神発達の理論

文化的―歴史的精神発達の理論

 
俳優修業 第1部

俳優修業 第1部

 
On the Technique of Acting

On the Technique of Acting

  • 作者:Chekhov, Michael
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: ペーパーバック
 
Your Life as Art 自分の人生を創り出すレッスン
 

 

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

 

 

 

ヴィゴツキーの情動論とその意義

最近、仕事の合間にヴィゴツキーの本を読み直し+新しい本を買って読んでいる。 この記事では、彼の情動論についてまとめる。

理性と感情の対立についての古い議論

感情は主流の哲学者や倫理家には評判は良くない。 古代の哲学者や倫理家の多くは、放縦や、感情に任せて行動することの愚かさを説く。

そして、理性による感情の制御というのがお決まりの教訓だ。

「ストイック」という言葉の語源となったストア派の哲学に傾倒したローマ皇帝マルクス・アウレーリウスは自省録の中で、わが子を愛する感情を必死で制御しようと試みている。 一部の仏教理解では愛欲は苦しみのもとであり、断ち切るべきとされる。

人間にとって、感情は動物的な下位機能であり、理性によって制御されるべき、というのが古来の多くの倫理観に流れていた思想だ。

スピノザとクルト・レヴィン

自分が学生時代にスピノザにほれ込んだのは、彼が 「人は感情によって行動し、理性は勝てない」 と断言していたからだ。確かスピノザの『国家論』だったと思う。

国家論 (岩波文庫)

国家論 (岩波文庫)

感情が行動を決定する、というのは次の本にもでていた。

理性は感情を刺激するだけなのだ。

結局、人の行動は様々な感情の葛藤や相克の結果決まる。

こうした観点はレヴィンのトポロジー心理学にも通じるだろう。

『エチカ』ではスピノザは人の行動の動因を見事に整理して、一元的な理屈で 徳や不徳と呼ばれる特性を説明してみせた。感情は放縦の原因であるだけではなく、徳の源泉でもあるのだ。

ヴィゴツキーの情動論

ヴィゴツキーは当時の心理学における情動分析がその根底には感情を下等な本能的な機能とみなす哲学的な問題があるとする。

日本語訳の本はデカルトスピノザとの対話と書いているが、基本はデカルト的なものの批判であり、スピノザ的なものの擁護だ。

 ウィゴツキーの論点は以下の点と思われる。

  • 感情が大脳の機能であり、大きな恐怖や興奮のほか、微細な愛情や満足のような感情と本質的には異ならないこと。
  • 情動は人間のエネルギーの源泉であり、人間行動に不可欠なものということ
  • 注射針に対して腕を差し出すような理性的な行為や道徳的行為といった自己行動の制御も、脳内で構築された複雑な反応体系に基づくもので、発達した情動機能の産物であること

与えられた環境を変革していくような創造的な活動や困難に打ち勝つプロジェクトをやり通す力は感情を廃した「理性」のようなものからは生まれないのだ。

「共感の大切さ」を超えた情操教育

ヴィゴツキーは学校の場などで、感じることを軽視してはならないと説く。学習内容の楽しさを味わうために好奇心を刺激するように説く。 また、芸術教育についてもその意義を語っている。

企業の人材育成や、現代の学校教育の場でも、感情の大切さみたいなことが説かれることは多い。 一方で、個人的に危ぐするするのが、それが他者への思いやりや共感を過度に協調し、結局日本的な「みんな仲良く」とか「空気」に逆らえない人をつくってしまっているのではないか、ということだ。

ヴィゴツキーの情動に関する教育は、感情の機能をみとめ、それを克服して、自己の行動を制御することも含む。 共感のようなものも大事だが、「空気」のようなものに生み出される感情やその時々の誘惑に抗して、自分の意志や判断を貫くことができる人格を作ることが一種の脳の機能なのだと説く。

芸術教育についてのヴィゴツキーの意見

彼は芸術作品はあくまでフィクションであり、そこから教訓や道徳を引き出そうとすることに批判的だ。 芸術を芸術として創造的に鑑賞することでその意味があるのだという。

学校の教科書から文学が消えることについて、色んな意見があったけど、ヴィゴツキーの議論を根拠にした議論は聞いたことはなかったな。

久保建英にみるポーカーフェイスと激情の両立

サッカーの久保建英マニアの一人であるが、こんな動画がある。


「久保建英にオススメのクラブとレアル・マドリー復帰のための最短距離」|木村浩嗣(在スペイン・ジャーナリスト)の移籍先診断【2】

久保建英の動じないメンタルについて、絶賛している(比べられたジョアン・フェリックスはかわいそうだが。。。)

ただ、久保マニアなら知っているけど、久保建英はもともと激情家だ。 チームが大量得点している時、自分一人だけ点をとれなくて号泣した、とか、バルサが興味をもっていないことを知って泣き出したとかの逸話には事欠かない。 今シーズンでも、残留争いの終盤、敗戦なのか、決定機を外したことなのか、ピッチを去るとき、地団駄を踏んで悔しがる様子をみせている。

プレイが常にブレず、冷静に見えるのは、要するに自分の情動のエネルギーをプレイに集中させることができているからだろう。

EQというのは対人関係に関するものだけではない。個人の自分自身の行動の制御という意味でも大きな意味をもっているのだ。

芸術との関係?

久保は幼い時から読み聞かせを大量に受けて、本人も読書家みたい。 小説をよく読むとか。ヴィゴツキーによれば、芸術を味わうことで感情が浄化され、感情のエネルギーを秩序だった行動に向かわせることができる助けになる。 そういうのも彼の人格能力の高さに寄与しているのかもしれない。

非IT系にもおすすめなリモートワークに便利なタスク管理ツール「Redmine」

ふと思い立って。

 

IT系の人には常識になっているけど、たぶんリモートワークにもかなり使えるツールとしておすすめしたいのが「RedmIne

 

redmine.jp

 

本来は準備が必要なツールだけどWebサービスとして提供している会社が複数ある。

lychee-redmine.jp

 

hosting.redmine.jp

 

チケット管理ツールは色々あるけど、IT向けに特化しているものも多い。Redmineはその点、使いやすいと思う。

 

チケット管理とは

この手のツールは、タスクや問い合わせなど、何か作業が発生するものを「チケット」として定義して作れる。計画があってもなくてもいいので、突発的に発生する作業なんかもチケットにしておけばよい。

 

チケットには、担当者の他、チケットについて話した内容やその他なんでも情報を追加できる。

 

 

チケット管理ツールの良いところ

  • 今、誰が何をやっているのか。誰もやっていないタスクは何か、等が可視化できる
  • 経緯(誰がそれについてどんな作業をしたのか、)が分かる
  • なれると結構気軽にチケット上でやり取りできる

 

特に素晴らしいのは、履歴が全て残るという点。

 

あるタスクについて相互にボールを投げ合うってことはよくやられるが、それをチケット上でやる。

「このタスクについて〇〇さん、こういうことお願いします。終わったら僕が残りやります。」

みたいなとき、チケットの担当者をその人に切り替えて依頼すればよい。担当者が変わった履歴もチケットをみればわかる。

 

 

注意するべきところ

多分作業内容を明確にすることは慣れていない場合が多いので、「~の件」みたいな曖昧なチケットでも最初は良しとした方がいい。ビデオ会議ツールやチャットなんかで補足する。

 

むしろ、雰囲気でマネジメントしていたことが可視化されただけだから、それをすぐに変えようとして、無理やり細かく書かせようとすると効率が落ちると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

システムの複雑さについてのメモ

これをみて、改めて、システムの複雑さについて考えてみた

Udemy System Thinking Made Simple

複雑さを生み出すもの

Rich Hickeyの下記のプレゼンで複雑とは複数の意味をもっちゃうものと定義していることから発想。

Simple Made Easy

役割が定義できない要素の存在が複雑さをもたらす。機能や特性が要素に還元できない。例えば以下のようなもの。

  • システムの要素が担う役割が状況や時間の経過によって変わる

  • 要素が複数の役割を兼ねる

複雑なシステム

  • 人間の運動。筋肉のある箇所を使ったり使わなかったりして同じ機能を果たすことができる。
  • サッカー。局面によってFWも守備をする。DFも攻撃する

間組織の複雑性

人間行動が絡むと殆どのシステムが複雑さが増す。 人間は個々人の判断で適応行動をするから

  • 一つの機能を果たすために様々なロールを担う。ロールが流動する
  • 様々な機能を求める。製品を出力するだけではなく、給与、地位、人間関係、自尊心を与える機能を担う

制御するために必要なこと=ゴールの共有、プレーモデル/ロールの調整、満足する給与/関係性/承認の提供

情報システムにおける複雑さ

  • コンポーネントの役割分担を進めるのが吉
  • 一つのコンポーネントが何役もやるのが複雑さを増す
  • 非機能要件もコンポーネントに還元できるのが吉
  • 性能などの一部の要件は機能を実現するコンポーネントが担うため、複雑になりやすい。並行性を高めることは性能要件を並列実行数に還元できるようになるため、複雑さを抑制することになる

複雑さの価値

刻一刻と変化する状況に対応するためには、複雑かつ、自己組織化システムの方が適応しやすい。シンプルなシステムは柔軟性に欠ける。 情報システムは人の手によってしか変更されないからシンプルさが価値をもつ

にわかサッカーファンによる久保建英論

自分はサッカー経験なしで、観戦経験も薄いにわかファン。ガチのサッカーファンは妄想だと思ってスルーしてください。

 

ふと、youtube久保建英のプレーを目にしてからハマった。釣られてサッカー見出したら、面白くて、サッカーの戦術本とかも買いあさってしまった。

 

こんな記事も書いた。

 

mattun.hatenablog.com

 

最近の息抜きは久保建英の記事とか、youtubeとかを見ること。インプットするとなったら凝るので結構久保建英オタクになっていると思う。

 

久保建英選手について

サッカーのスペイン、ラ・リーガ1部に挑戦中の久保建英。スター軍団のレアル・マドリードと契約して、2020年3月現在は1部昇格したマジョルカにレンタル移籍して奮闘中。

詳細はこちら。

ja.wikipedia.org

 

10歳でFCバルセロナの下部組織に入り、そこで大活躍。中学生のときに日本に帰って話題になった。中学生の時は高校年代、高校生の時はJ3と、基本的にかなり年上の集団に混じってプレー。中学生で高校年代の大会での得点王とか、Jリーグ最年少ゴールとか、二番目に若い日本代表への選出とか。18歳でレアル・マドリードと契約。多分、Bチームの補強だったと思うけど、レンタル移籍してスペイン一部でプレー。下位チームで苦労している。

 

 

騒がれる理由と何故か多めな懐疑論

FCバルセロナは組織や特殊で、特に下部組織での育成が非常に有名。メッシを筆頭に、イニエスタ、シャビ、ブスケツみたいな世界最高レベルのテクニシャンたちを育ててきた。その下部組織で中心選手として活躍していたから、当時から日本中の期待を集めてた。自分も当時から名前は聞いたことがあった。

 

ただ、日本に帰ってから、自分みたいな熱狂的なファンとともに、アンチもかなり多い選手。なんか、人の感情を左右させる不思議な魅力がある。

 

それとは別に、今年J1でブレイクするまでは、もしくは今現在もかなり懐疑論が多かった印象。

hominis.media

 

それはなんとなく分かる。J3での試合とか結構埋もれていた。「上手いけど。。。」それだけの選手なのではないか、と感じさせるものがあった。

 

 

選手としての特性と評価

長所

サッカーIQの高さ

バルサ時代から、そして、現在も懐疑的な人も含めて誰もが認める選手としての長所は頭のよさ、戦術理解、プレービジョンみたいな言葉で表現されるところ。ゴールから逆算してプレー選択を考えられる。純粋な頭のよさに加えて、オタクが好きそうな戦術論をおそらく知識としても理解している。また、自己認知力が異常に高く、自分を客観的に分析して努力できると多くの人が評価している。

 

コミュニケーション力/メンタルの強さ

年上に混じっても物怖じしない、ピッチ外、ピッチ内でのコミュニケーション力も高いと多くの人が認めている。スペイン語はネイティブレベルで、英語で記者からの質問に答えることもできるだけの英語力もある。数学があんまり好きじゃないと言っていたが、多分、語学の天才系だと思う。

 

技術

ドリブルを筆頭に、パス、シュートの技術が高いとされる。そこら辺は下記の動画に詳しい。

www.youtube.com

現状、

ドリブル > パス > シュート

の順で得意なんだと思う。毎試合改善しているが。

 

認知能力・視野

首振りが異常に多く、プレー中、常に状況を確認している。それによって判断の質を挙げているし、プレーの精度も上げている。

 

 

個人的な評価

詳しい人には理解されているが、久保選手のパーソナリティは天才タイプのそれではなく、超努力型。課題を明確に定義して一歩一歩克服していく努力の天才。

 

ボールを扱う技術みたいなところはそこまで才能のある選手じゃないと思っている。小野伸二や宇佐美みたいなボールタッチと比べるとどこか人工的な感じがする。まだ、考えてプレーしている。第二の天性のようになるには多分、もう少し時間がかかる。選手としての特性から考えると晩成タイプのはずだけど、親の英才教育によって若くして活躍している、と思っている。

 

こういうところが久保に懐疑論が出てくる理由な気がする。

 

英才教育

このレベルまでいくのは本人の努力と才能はもちろんだけど、どう考えても親の教育がすごい。本人も父親に全てを教えてもらったと言っている。細かいタッチのドリブルなんかはお父様がメッシを研究して教えたのではないかと思っている。

 

バルサに行った子供の頃からプロが使う体幹レーニングのジムに行ったり、中西のパーソナルトレーニングをつけたり、まあ、すごい。長友と同じトレーニングを10歳からやっているわけだ。

 

 

久保建英の本当の才能

さて、ここからが自分が本当に書きたかったことなんだが、久保選手はよく、「上手い」選手で、周りとの連携が鍵、と言われているんだが、自分はそう思っていない。何年か後に答え合わせするために自分の直感を書く。

 

前に書いたように、久保のボールを扱う技術は英才教育と本人の努力の成果でトッププロの中では突出した才能ではないと思ってる。

 

彼の他の人に容易に真似できない本当の才能はむしろ、弱点と思われてきたフィジカル面だと思っている。

 

ボディバランスと体の使い方の上手さ。

 

フィジカルが弱かった時からシュートの威力があったこともそう。これは小さい頃から。そして、姿勢がいい。体幹レーニングをつんでもあそこまではいかない。武道家のような立ち姿。これが彼のプレーを独特のものにしている。パスやシュートよりもドリブルがまず通用したのはそれが原因と思う。

 

自分はサッカーみたいな球技はそこまで好きじゃない。やっているのは柔道(弱いけど)。そして、自分が昔、久保建英と同じように惹き込まれたサッカー選手は柔道の経験もあったこの選手。

 

レアル・マドリーのレジェンド。

 

www.youtube.com

ジダンがボールをもつと時間が止まると言われた。独特の間で局面を打開してしまう。体の使い方が美しい。立ち姿だけでも絵になる。久保建英も立ち姿が綺麗。自分はそういうのに惹かれる。

 

もちろん、長い手足を利用したジダンとは違うけど、相手に飛び込ませず、間合いを制して決定的なプレーをする、みたいな片鱗は見せている。

 

今はまだ体ができていないから、彼の本当の才能が発揮されていない。21歳くらいになったら、その真価がようやく見られ始めると思う。対人がめちゃ強くなると思う。

 

また、個人で局面を打開する、すごい選手になりたい、と昔インタビューで言っていた。

 

久保建英の未来予想:バルサよりマドリーの方が似合っている

今のマジョルカでのプレー。バルサでの久保を期待していた人には辛いかも。そして、何人かのプロ選手が、「連携で生きる」久保がいきない環境だと評価している。

 

自分はまだ開花していないだけで、下位チームでも試合を決めてしまうタイプの選手になると思っている。それが世界のどのレベルまで行けるのかは分からないけど。

 

自分の久保の未来予想は下記。

  • 連携して崩すだけではなく、ボールを持ったら独特の間で場を支配して、局面を一人で打開してしまう強烈な個。
  • 自分の体の特性を生かした鬼のキープ力

もちろん、頭のいい選手だから戦術的な行動も取れる。

 

 

だから次のように思う。

 

未来の久保建英に似合うチームは連携のバルサではなく、個の集まりであるレアル・マドリー

 

 

本人は案外個人技が求められる今の環境を楽しんでいるのではないかと思っている。