性格タイプ論の有用性と罠

自分が今まで学んできた性格タイプ論について書いてみる。もっと時間があれば短く書けただろう。。。

 

タイプ論とは

 

人間を様々なタイプに分けることは、色んな人が色んな根拠でやって来たと思う。

正式な理論に基づかなくても、オレオレ分類論は結構持っている人が多いのでは?

ここでは、心理学とか、人材開発の流れを組むタイプ論について話す。

 

ここでのタイプ論は人間はある観点に従って、複数のタイプに分類でき、それは生涯変わらない、ということを主張する類いのもの。

 

タイプ論と似たものに、あくまでも分類はそのときの社会的振る舞いの傾向についてのもので、変わる可能性がある、とするものもある。ソーシャルスタイルとか。

個人の印象だけどソーシャルスタイルはあまりにも変わりやすいため、それを分類することのメリットは殆どない。個別対応のほうがいい。

 

タイプ論の有用性  

他者理解と他者受容

タイプ論を学ぶことで得られる分かりやすい有用性は他者理解。
通常、僕らは自分と他人は同じという仮定に基づいて行動し、共感したり、感情を推し量ったりする。これは、人間が自然にやる本能的行動。

 

タイプ論を通じて見えてくるのは、タイプが異なると、根本的に違う前提で世界を見ていることがあること。今までの赤とおもっていたものが、黒や紫に見えていた人がたくさんいるってこと。
例えば、MBTIで内向的とされているタイプは1人の時間を通じてエネルギーを蓄える。逆に外向的なタイプはみんなといることで元気になる。
落ち込んだ時とか、内向的なタイプに対して外向的なタイプが飲みに誘ったりするのは、余計なお世話だったりする。

 

こうした認識がないと、例えば誘いを断られた外向的なタイプは、断った内向的なタイプに関して、自分を好ましくおもっていないのではないか、とか、バカにされているのではないか、とか変人だ、とか色々状況を歪んで判断する可能性がある。

 

よくあるタイプの違いから来る誤解はかれは不道徳だ、とか、無能だ、とかそういう低い評価。

 

少なくとも自分が当然と思っていることを当然と思わない人が周囲にたくさん昔から存在していた、と気づくことは対人関係の状況認識に劇的な影響を与えると思う。

 
自己理解と自己受容

自己理解にも役立つ。特定の文化や組織は集団的規律を維持するために、ある程度特定のタイプの認識や傾向に有利な規律を強制する。あるタイプはある文化圏では変人として扱われる。
友達100人できるかな、とかね。

 

そういう状況では、集団に不利なタイプは自分の感じ方やものの捉え方に自信が持てなくなり、自分以外のタイプの特性を内在化するようになる場合がある。もしくは、社会を拒絶する。自己認識や社会の捉え方が歪む。

 

タイプ論は自分が他人と異なっているだけであったり、さらに同様な人は他にもたくさんいたりすることを教えてくれる。自分の感じ方やもののみかたをあるがままに受け入れることができるようになる。 

 

上記二点は、タイプ論を学んだ極初期に得られる利点。さらに深く学ぶともっと各々のタイプ論特有の仕方で自己理解や他者理解が進むと思う。

 

タイプ論はよく誤解されているように人間や組織に対するもののみかたを単純化するものではない。

 

他人は今までの自分の自然な捉え方だけでは理解できない、と突きつけるもの。社会は無限に多様な個人から成り立っているものであることを教えるもの。人間や社会をより複雑にとらえなくてはならないことを教えるもの

 

タイプ論の罠

タイプ論の罠としては、人をタイプの枠組みで単純化して捉えることだと思う。ただ、個人的にはこれはタイプ論をよく理解していないし、別にタイプ論を学ばなくても人をステレオタイプで判断する人だろうからあまり、気にすることはないと思う。

 

タイプ論のエバンジェリストたちは、評判落とすから警戒するだろうけどね。

 

自分が学んで、良かったタイプ論

MBTI

ユングタイプ論をもとに、マイヤーズとブリックスが拡張、整理したもの。 万人におすすめ。グローバル、とくにアメリカでは主流だと思う。

 

生まれつきの利き手のようにタイプが決まる。

下記でどちらが優位かでタイプが決まる。2×2×2の16タイプ
  • どこからエネルギーを取り込むか(I 内向: E外向)
  • どのように情報を知覚するか(N  直観: S感覚)
  • どのように判断するか(F  感情: T  思考)
  • 外界に対してどのように振る舞うか(P 知覚: J判断)

MBTIのタイプは仕事の仕方とか、対人関係のスタイルとかと影響が強い印象。仕事で有用だし、学生とか若手社会人にもいいと思う。

 

一般社団法人 日本MBTI協会

 

MBTIへの招待―C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開

MBTIへの招待―C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開

  • 作者: ロジャーペアマン,サラアルブリットン,Roger R. Pearman,Sarah C. Albritton,園田由紀
  • 出版社/メーカー: 金子書房
  • 発売日: 2002/07
  • メディア: 単行本
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エニアグラム

神秘主義思想と心理学的タイプ論を融合したもの。9つの頂点をもつ図形に合わせた9つのタイプ。触れていない本もあるけど、9つのタイプには、両端のどちらかのタイプにより近いか、というウィングがある。全部で9×2の18タイプ。英語、日本語ともに表現は様々なものがある。

タイプ 1  改革する人(The Reformer)
タイプ 2  助ける人(The Helper)
タイプ 3  達成する人(The Achiever)
タイプ 4  個人主義者(The Indivisualist)
タイプ 5  調査者(The Investigator)

 

タイプ 6  忠実な人(The Loyalist)
タイプ 7  熱中する人(The Enthusiast)
タイプ 8  挑戦者(The Challenger)
タイプ 9  調停者(The Peacemaker)

 

生まれつきと幼少時の体験からタイプが決まるとされる。

 

ちとオカルト的ではあるのだけど、自己成長のための非常に良質なツールになると思う。
誰も言っていないけど、個人的には学生とか20代とかよりも、30代以降の人におすすめ。自分はエニアグラムは学生のころ知って面白かったけど有用性を実感したのは最近。

多分、若いときには色々と受け入れられないんだよね。。。

 

Home - The Enneagram Institute

 

学ぶには、まず、リソの本を読むこと。

エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)

エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)

 

 

タイプの特定と学び方

自分がどのタイプであるか、を知ることは簡単ではないと思う。いろんな診断テストとかあるけど、最終的には自分で納得するしかない。

ワークショップとかで、人と話しながら、ああでもない、こうでもないと理解を深めながら、継続的に探究していけばいい。

もし、そういうタイプ探しが退屈だったり、意味のないことに思えたなら、それが今のあなたに不要なことであるか、タイプ論の深みに触れた議論ができていないか、のどちらかだろう。

 

ちなみにMBTIは認定にうるさくて、ちゃんと認定ユーザによるワークショップを経た形じゃないとダメ、って言っている。

 

自分は2人の認定ユーザのワークショップを合わせて3回受けたことあるけど、確かによく考えられて設計された良いワークショップだったと思う。

 

自分はMBTIではINFP、エニアグラムではタイプ4のウイング5でかなり確信している。ただ、時々別のタイプを疑ってみることもある。

 

 

 

 

 

独断と偏見に基づくコミュニケーション力向上のための推薦図書

かなり、変わったリストだと思うけどね。

 

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

 

 まずはこれ。実はメンタルなところより、そもそも何について話しているのかを明確にすることを学ぶべき。

 

スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学

スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学

 

 サティアの交流理論についての解説がいい

 

ゴードン博士の人間関係をよくする本―自分を活かす相手を活かす

ゴードン博士の人間関係をよくする本―自分を活かす相手を活かす

 

 古い本だけどいい本なのさ。困っている時、相手を責めないで助けを求めよう。

 

 

ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ

ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ

 

 考えを保留するって大事。

 

 

プロセス・コンサルテーション―援助関係を築くこと

プロセス・コンサルテーション―援助関係を築くこと

  • 作者: E.H.シャイン,エドガー・H・シャイン,稲葉元吉,尾川丈一
  • 出版社/メーカー: 白桃書房
  • 発売日: 2012/11/02
  • メディア: 単行本
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 コミュニケーションについてのコミュニケーション

 

Conjoint Family Therapy

Conjoint Family Therapy

 

 結構本質が書かれていると思う。

 

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

 

 感情について知る。

業務システム開発の次の言語としてのKotlinの可能性

いつもながらの、雑感。Javaの次の言語としてのKotlinについて考えてみる。

mattun.hatenablog.com

 

上記みたいなこと、いろいろ考えていた。

もう、オープン系業務システム(エンタープライズ)の開発言語としては、長い間、UNIX系プラットフォームだとJava,Windows系だと、C#って感じでずーっと続いていたと思う。(Windows系はある種独自の世界なのとよく知らないので、ここでは割愛。)

  

その間、何度か、新しい言語の波が来ていて、Javaの次が来るって期待があったと思う。

RubyRuby on Railsの衝撃

自分の記憶にあるのは、Ruby on Rails(以下RoR)の衝撃。

簡単なDBのCRUDアプリを作るのにも、ものすごい金と時間が掛かっていたStruts1全盛の時代。あっという間にWebサイトが作れてしまうのは衝撃的だった。『JavaからRubyへ』みたいな本が書かれた。

楽天市場のサイトがRubyで開発されたのって、象徴的と思う。

 

SIの世界でも、一部でRuby/RoRが使われるようになったし、Javaの過去資産を活用できるJRuby、そして、Javaとの連携を強く意識したgroovy/grailsが出てきて、動的言語が注目を浴びていた。

 

ただ、主流はやはりJavaで、言語よりフレームワークRoRを強く意識して、同程度の生産性を出そうと頑張っていたと思う。

 

Javaも5になって、ジェネリクスアノテーションが出来て、いいフレームワークを作れるようになってきていた。

 

Springは、RailsLikeな開発ができるSpring Rooをリリースしていたし、日本では、SAStrutsが色んな企業の業務アプリ開発に使われるようになった。

 

この動きっていうのは、Webアプリケーション開発/アーキテクチャのベストプラクティスが確立され、Webアプリ開発がボイラープレート的なコードの記述になっていったことを示しているんだと思う。

RoRはボイラープレート的なコードをほとんど0にしたし、それに刺激を受けたJavaフレームワークもその方向で進化した。

 

言語の動的性質っていうのは、インパクトの小さな部分だったのではないかな、と振り返ってみると思える。

ただ、多くの人がRubyやGroovyに触れることでそこに表現されていた関数型プログラミングの概念が業務アプリのエンジニアたちに広まったのは結構大きいと思う。

 

Scalaの台頭

動的言語とそのフレームワークが注目されている中、やっぱりコンパイル時のチェック、そして、何より静的言語のパフォーマンスいいよね、でもJavaいけてないよねってことで、Scalaが台頭してきた。

頻繁にクジラの画面を表示させていたTwitterがバックエンドをRoRからScalaに切り替えた、というのがその象徴的事件。

Webアプリとしてのフロント側だけでなく、Hadoopなどのパフォーマンスが必要とされるバックエンドでの大量データ処理の必要性が出てきたのも背景にあると思う。

 

ただ、技術的なチャレンジとしてScalaが注目、方々で採用されている中、Javaもしぶとく生き残っている状況がある。

 

Scalaの膨大な言語仕様や、コンパイル時間の長さ、バージョンアップ時の互換性の軽視あたりは、採用に二の足を踏むチームも多かったんじゃないかなー。

個人として、最初かなりScala面白そう、と思ったのだけど、実際書いてみると色々辛い。。。年寄り文系の自分には難しすぎるんだよね。Scalaは。。。

 

下記みたいな話もある。まあ、パフォーマンス問題は過去の話と思うけどねー。

YammerがScalaからJavaへ移行中

 

今の言語の進化の方向は、静的型付けがある中で、どれだけ手軽にプログラミングできるか、を模索していると思う。Go言語とかもね。

(ざっくり言い過ぎと思うが。。。)

Kotlinの位置付け

KotlinはIDEベンダであるJetBrainsが開発したJVM上で動作する静的言語。(JavaScriptにコンパルすることもできる。)

Kotlin

 

まだ、リリース前のベータ版だけど、もうすぐリリースとのこと。Android開発ではもう結構使われているっぽい。

 

基本的に、KotlinはAltJavaであるC#,Groovy,Scalaあたりの良いところ取り。そして、Javaプログラマが多く従事している業務アプリの現場での課題解決を強く意識していると思う。

 下記は自分がいいな、と思ったところ。

  1. 静的言語であり、コンパイル時チェックが効く
  2. 文法がJavaプログラマにとってとても学びやすい
  3. Null Safety/Optionalが言語レベルでサポートされて、Java8のOptionalより分かりやすい
  4. 関数型プログラミングが言語レベルでサポートされ、Java8より分かりやすい
  5. 演算子オーバーロードや拡張メソッドScalaのtrait)などDDDに都合の良い機能が豊富
  6. 困った時はJavaで書ける
  7. 返り値を複数とるような感じで、書ける

Java8への移行との比較

個人的には、Java8のラムダやメソッド参照、Optionalなどは、かなり無理矢理詰め込んだ感があり、相当使いにくい。

複雑なロジックになった時、StreamAPIを下手に使うと、可読性が低下する気がするし、Optionalの使い方も徹底できる気がしない。そこら辺、どうしてもプログラマの規律に依存しなくてはならないと思う。

 

ある程度の規模のプロジェクトになると、これらを全面的に導入して、学習コストに見合うメリットが出るとは思えない。

(技術自慢のプログラマー集団なら、新しいチャレンジにもなるし、ありかと思うけど。)

 

個人的にそこにコストをかけるんなら、ValueObjectとか、仕様クラスみたいなDDDのやりやすい所をやっていった方がプロジェクトに対してはメリットが大きいと思う。

 

対して、KotlinはJava8の新機能がやろうとしていたことを遥かに効果的に実現していると思う。とにかく分かりやすくて、Javaプログラマには学習コストが低い。

 

ちゃんとした研修コンテンツを作って動画配信してあげれば、プロジェクト全体に導入することも大したコストなくできると思う。

 

 

技術トレンドについての一考察

こんなブログ記事があったので、

blog.webcreativepark.net

 

「自分は技術トレンドを追う時にどう考えているのか」を考えてみた。

  • 目的:技術力や問題解決力の向上。肥やしになる、と思っているので、その技術を使えなくても問題ない。(自分は研修屋だからなおさら)
  • 勉強対象の選定:新しい技術のうち、問題解決のアイデアが面白そう、と思ったもの、大きな業界のトレンドに関わりそうなもの、を選んでいる。
  • 深さ:ちょこっとやって、飽きたらやめる。

まあ、こんな感じだから、プレッシャーとかないよなー。

 

 

 

書評『変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論』

 

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

 

 

原著は『Training for Change』

 

Training for Change: New Approach to Instruction and Learning in Working Life

Training for Change: New Approach to Instruction and Learning in Working Life

 

 

今の所(2015年11月)、絶賛レビューが存在しないので書く。

簡単な紹介については下記の記事を参照

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「変革を生む研修のデザイン」と「人間科学のための混合研究法」を読んだ!

せきねまさひろぐ: 「変革を生む研修のデザイン」

 

研修屋には耳の痛い話

本書の冒頭でも触れられているけど、本書では、何の理論化(モデリング)や目標指向の指導を経ることなく、「経験」を経れば、学習が起こる、という一部の「経験学習」や「アクションラーニング」の論者の考え方に異議を唱える。

また、ディスカッションや演習、ダイアローグといった、教授手法の外面的特徴にフォーカスした研修が、生徒の内面的学習プロセスを無視しては全く意味がないことも主張している。

 

個人的にはインタラクションや演習は重視するし、学習効果は高いと思う。ただ、研修業界では、学習効果ではなく、受講者を飽きさせない、とか、満足度を上げることを理由にさしたる効果もない楽しい演習を入れる場合も多々あるので、これは重要な指摘と思う。

 

学校教育で「アクティブラーニング」が実施されようとしている今、広く読まれ、考えられなければならないんじゃないかと思う。

 

インストラクショナルデザインとの関係

一般的な研修設計手法として知られているのは、所謂インストラクショナルデザイン(ID)。開発プロセスとしては、「ADDIEモデル」になるのかな。

ADDIE Model - Wikipedia, the free encyclopedia

  

通常、学習目標となる行動を特定して、スキル分析をして、「〜ができる」って形で学習項目を挙げていく。

 

個人的にはとても優れた手法だと思うし、実践的。

特に「カスタマーサービスがマニュアル通りに実施する」、みたいな単純なスキルのトレーニングに関してはある程度モデル通りに設計していけば研修ができる。

 

教材設計マニュアル―独学を支援するために

教材設計マニュアル―独学を支援するために

 

 

 

はじめてのインストラクショナルデザイン

はじめてのインストラクショナルデザイン

  • 作者: ウォルターディック,ジェームス・O.ケアリー,ルーケアリー,Walter Dick,James O. Carey,Lou Carey,角行之
  • 出版社/メーカー: ピアソンエデュケーション
  • 発売日: 2004/08
  • メディア: 単行本
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ただ、もう少し複雑で高度なスキルとなると、色々と工夫が必要で、そこは当該専門分野の知識のほか、講師経験や研修開発経験を生かして研修に盛り込むしかない。

 

というのは、IDそのものは特定の学習観とか教授手法からは独立した、スキルの外形的分析手法の定義とプロセス定義だけを行っているものだから。

 

エンゲルスロームの本書は、このIDで空っぽだったコンテンツ開発の手法を提示していると言っていいと思う。

 

その手法はとても実践的で有用。自分がいろんな失敗を経て、こうじゃないか、と考え、ある程度うまくいっている持論がより洗練された形で説明されている、という印象。

 

本書のビジョン

エンゲルスロームの教授理論の素晴らしいところはそのビジョン。

 

人が実践コミュニティの中で自ら学び、既存の自分の認知的枠組みを問い直す「拡張的学習」を行うことのできる能力を育てることを視野に入れている。

教えられただけでなく、それを問い直し、乗り越えることを見据えている。

 

教え子が教えた内容を乗り越え、教師を超えていく、というのは、多くの教育者の目標だろう。

 

本書はそれを達成することを手助けしてくれる。

 

指導の黄金律

本書の終章にて、提示された指導の黄金律。それぞれ、最初の一行だけを抜粋。

  1. カバーする主題事項は少なくし、よりよく、徹底的に教えること。
  2. 脱文脈化された「出来合いの」事実や技能を教えることに満足しないこと。
  3. 生徒の中に実質的な動機付け(主題事項の使用価値への興味)を喚起すること。
  4. 主題事項の本質的な原理を明らかにする方向づけのベース(Orientation basis)を作り出すこと。
  5. 探究的学習のサイクル(動機付け、方向づけ、内化、外化、批評、統制というステップを含む)を目指すこと。
  6. 充分な配慮をもって教授計画を立てること。
  7. 生徒に多くを求めると同時に、生徒を尊重すること。

 

その他、引用ツイート

研修フォローアップに対する一考察

例によって、整理しないで、たらたら書く。

 

研修フォローアップの大切さ

下記のようなツイートをした。

 

きっかけは中原先生のところのフィードバック研究会で、フォローアップが少し議論になったこと。

 

論文ではエクゼクティブコーチングと360度フィードバック明確な効果が実証的に確認できた、とする。ただ、コーチングの対象となった項目についてしっかりとしたフォローアップを実行している。

研究会では議論のなかで、この結果は「ある意味、当然だよね。」という議論がでた。フォローアップのなかで、実際の行動を行うようにフォローするのだから、360度フィードバックの結果が改善されるのは、当たり前。

 

コーチングに限らず、研修効果の研究では、やはり、フォローアップの大事さは強調されている。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「研修のエンドレス化」と「誰も実行しないアクションプラン」!?:

 

ちと、記憶が定かでなないが、研究では、エクゼクティブコーチングは「効果が出るけど、長続きしない」傾向にあるというのが、言われているそう。

ここでも、きちんとフォローアップをすることが大切、という結論になるのかもしれない。

 

研修フォローアップの目的は何か?

さきの中原先生のブログ記事を引用すると、

「アクションプランを創らせること」が研修ではなく、「アクションプランを実行させるまで寄り添うこと」が研修の仕事という認識が広まっていくのだとしたら、関係各所で、さまざまな見なおしが必要になってくるものと思います。「役割」の見なおしなのか、分担の見なおしなのか、仕事の再定義なのか。それはそれぞれの会社で違うでしょう。

個人的な考えでは、研修の終わりは「自ら研修で学んだことを実行し、それを土台にさらに高度な学習を始めることができる状態をつくる」ことであり、それができてはじめて「学んだ」と言えるのだと思う。

 

つまり、「フォローなくして、行動できない」のであれば、それは「研修の失敗」を意味する。フォローアップに意味があるのは、それが「行動をさせる」のではなく、「フォローなしでできる」状態を作ることに資するものでなくてはならない。

 

具体的には「できるようになっていることの定着」か、「研修で最近接発達領域まで向上した学習内容を、フォローを伴う実践を通じて自力でできるようになる」ことあたりを目的にするのだろう。

 

これはいわゆる行動変容というやつで、真面目な教育担当者や講師・コンサルタントといったプロフェッショナルは当然考え、目指しているものだと思う。

 

個人的には、「フォロー」を実施して、当然の結果として指標が向上することをもってフォローが大切というのは不誠実だと思う。測定上、研修内容の品質よりも強い相関がでるのは当たり前。無理やり「やらせている」のだから。

そのフォローアップが本当に「学習」に意味があるのか、フォローアップ後の成果が「学習」を測定しているのか、ということは注意するべきだと思う。

 

コーチングや、アクションラーニングなどは研修本体とフォローの区別が付かないものもある。その場合でも、「学習」の成果を測定するタイミングは気をつけるべき。

 

「効果の出ない研修」との戦い

研修フォローアップは、教育担当や教育プロフェッショナルにとって、ある意味「救い」になる。「役に立たない」、「福利厚生」とされていた研修に、低リスクで効果があると、説明することができるから。

 

でも、今まで述べてきたように、研修フォローアップによって作り出される成果は「学習」の成果では必ずしもない場合がある。注意しないと自己欺瞞に陥ってしまう。

(もちろん、短期的な成果をあげるための「業務支援」としては正当な成果としてあり得る。でも、それは「教育」ではない。)

 

もちろん、短期的な研修のようなもので本当に「不可逆」な効果を出すことは難しい。

 

でも、自分は新人のときに受けたCTIコーチングワークショップ(12日間)でコミュニケーション能力、特に傾聴力に劇的な改善を得た経験があるし、新人研修のときのビジネスゲームで得た学びは今も残っていて、自分の核になっている。

ワインバーグの著書を読むことで得た問題解決力は読む前と同じレベルにはもうなれない。

 

(人間という複雑系を相手にした時、変化を求めすぎたり、成果を過度に強調することが逆効果になる場合も多々有る。というのは留意すべきだけど。。。)

 

限られた時間の体験が不可逆な変化を起こすことは可能だし、自分自身でも幾つかの成功体験もある。

 

研修やワークショップでなければ身につけられないもの、もしくは、それを通じてだと圧倒的に効率的に習得できるものは確かにある。

 

また、CTIの品質を知っている身としては、グローバル企業でのリーダーシップ開発は、あれと同等のものがあるはず。いつまでも「福利厚生」、「所詮は研修」って感覚で時間と金を無駄にし続けていると、追いついていけない。

 

高度成長期を経て成熟し、成長機会を業務の中で豊富に提供できる事業が減っている多くの企業では、高品質の教育を整備し、武器にしていかなきゃいけないと思う。

 

教育・研修屋の仕事は「効果のでない研修」との戦い。安易な「フォローアップで効果でました。」は敗北以外の何物でもないと思う。

 

 

 

教育のビジョン

中原先生のブログ記事に触発されて

元のブログ記事にかの有名なデューイの言葉が引用されている。

「教えること」や「学ぶこと」は、「売ること」と「買うこと」に似ている。「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた!」と言うのなら、「誰も買っていない」のに「売った!」というのと同じだ。

(Dewey, J. 1910 How we think, p29)

 

特に教育に携わる人にとっては、心しておくべきことだと思う。

 

一方で、教育を求められるままに答えを教えるビジネスと捉えることは弊害も生む。

 

ある程度OJT,Off-JT問わず、人材教育の経験を持つと、大抵の人は多分すぐに「教え過ぎてはいけない」ということに気づくと思う。

学び手を消費者と見立て、知識と答えを求められるがままに供給していると、すぐに彼らが自ら現実や経験から学ぶ力と意欲を失ってしまうことに気づくから。

 

師匠が「背中を見て学べ」というのは、弟子に自ら学ぶ力が必要であることを伝える意味で合理性がある。

 

大切なのは、最終的にどういう人に育って欲しいか、というビジョンだと思う。人から与えられた知識で満足するような人材になって欲しいと望む人や組織はほとんどいないだろう。

 

教育においては、自分たちが提供しているものが、「自ら学んで自分の人生を切り開いていく人たちの成長に寄与しているいるのか」、ということが問われなくてはならないのだと思う。