中原先生のブログ記事に触発されて
自分はよく、「喋っただけで、教えてない状態」と呼ぶ。学んで初めて教えた、という。
「誰も学べていない」のに「教えた!」というのなら!? http://t.co/Dg3EZrZ0SG @nakaharajunから
— 松下正嗣 (@masatsugumatsus) October 5, 2015
元のブログ記事にかの有名なデューイの言葉が引用されている。
「教えること」や「学ぶこと」は、「売ること」と「買うこと」に似ている。「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた!」と言うのなら、「誰も買っていない」のに「売った!」というのと同じだ。
(Dewey, J. 1910 How we think, p29)
特に教育に携わる人にとっては、心しておくべきことだと思う。
一方で、教育を求められるままに答えを教えるビジネスと捉えることは弊害も生む。
ある程度OJT,Off-JT問わず、人材教育の経験を持つと、大抵の人は多分すぐに「教え過ぎてはいけない」ということに気づくと思う。
学び手を消費者と見立て、知識と答えを求められるがままに供給していると、すぐに彼らが自ら現実や経験から学ぶ力と意欲を失ってしまうことに気づくから。
師匠が「背中を見て学べ」というのは、弟子に自ら学ぶ力が必要であることを伝える意味で合理性がある。
大切なのは、最終的にどういう人に育って欲しいか、というビジョンだと思う。人から与えられた知識で満足するような人材になって欲しいと望む人や組織はほとんどいないだろう。
教育においては、自分たちが提供しているものが、「自ら学んで自分の人生を切り開いていく人たちの成長に寄与しているいるのか」、ということが問われなくてはならないのだと思う。