瞑想と気づき

あくまで自分の理解ね。

 
瞑想は気づきを深めることで変化を促す
 
古代インドの哲学者たちは世界を理解するために、世界の一部である自分自身を理解することから始めた。
 
そこでは、感官は単なる機能であり、真の自己は世界そのものである、との認識に至った。
 
まあ、実はこの事自体は自明に近い。スピノザも同じ事を言っている。人間の意識や思念は基本的には有機的装置の機能であり、進化の産物。
 
ヴェーダンダ哲学における解脱は、真の自己と世界を同一化するもの。意識のレベルではなく、根本から。多分。
 
まあ、ここまでいかなくても、瞑想は自分を客観視して、自分やそれと関係する世界の複雑なシステムを理解することを助けてくれる。
 
呼吸、自分の体の反応、物事に対する感じ方、捉え方、自分の頭に去来する思念、執着
 
この自分自身に気づき、理解しようとする意図や願望自身も、気づきの対象となる。
 
whyと考えることは、仮説であり、妄想の一種なので理解は直観に任せる。ひたすら気づく。
 
そして、気づいたことを、評価判断するのも妄想。単に気づくだけでよい。どうしても評価してしまうんなら、評価する自分に気づいてそれも受け入れる。
 
慣れてくると、リラックスして軽く瞑想するだけで元気がでたりする。
 
慣れないときは、少し自分のなりたい姿みたいのをイメージしてから始めると、迷子になりにくいらしい。
 
まあ、やり方はそれぞれ流派があるのでそこで。
 
人によっては気持ち悪くなる人とか、怖くなる人とかいるらしい。
 
そういう場合は、無理しないでやめるか、短く終わらす。
 
無理して頑張る必要はない、というか、個人的な意見ではそれは逆効果。
 
相性も時期もある。